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1楼主 = =2010/11/6 12:38:00
4人組アイドルグループ"ジャニーズ"の誕生から、約半世紀に渡り時代のトップアイドルを生み続けてきたジャニーズ事務所。その長い歴史の中で起きた様々な事柄を、時間軸に沿って記した研究書『完全保存版 ジャニーズの歴史―光も影も45年』(鹿砦社、2008年)は、一グループを掘下げることの多いジャニーズ関連本の中で、ジャニーズ帝国の全体像を掴むのに最適な一冊と言えるだろう。
同書には、ジャニーズからHey!Say!JUMPまで、ほぼ全てのグループの輝かしい活躍や受賞歴、紅白歌合戦の出場歴といった「光」の部分から、タレントの不祥事、逮捕、合宿所やホテルでの"あのこと"といった「影」の部分まで細かく記載されている。
当たり前のことだが、人気絶頂のグループがいる同時期に、下降線を辿っているグループがいて、更には合宿所(現在は無い)でデビューの頃合いを窺う少年がいる。例えば、それまでパッとしなかったSMAPの人気が出始め、木村拓哉が『あすなろ白書』(フジテレビ系)でブレイクした1993年の翌年、田原俊彦はワイドショーでの「僕はビッグですから」発言で一線から退き、光GENJIは大沢樹生と佐藤寛之が月兑退し、その1年後にはグループが解散する。同書は目には見えづらい"人気"という空気を、様々な出来事から紐解く楽しみもあるのだ。
また、ある程度の実績を付けてからレコードデビューさせる手法や、メンバーの人れ替えや掛け持ち、ミュージカル重視の姿勢など、いわゆる"ジャニーズ?ルール"が、ジャニーズやフォーリーブスの時代から既にあったことに驚かされる。これには、ジャニー喜多川氏のブレない信念について、改めて考えさせられることだろう。
そんな半世紀にも渡るジャニーズ史の中で、ファンにとってはお馴染みの「もう一度思い返したいあの名場面」を、筆者の独断でいくつか抜粋したい。
【1969年】元フォーリーブスの永田英二が、ハイソサエティーに加人
ジャニーズJr.からフォーリーブスのメンバーとなった永田英二が月兑退。その後、バンドグループ?ハイソサエティーのボーカルに加わり「永田英二とハイソサエティー」の名で活動した後、ソロデビューへ。メンバーの人れ替えや、グループ名のマイナーチェンジがこの頃から行われていたことが分かる代表的な出来事。
【1987年】田代秀高がGENJI月兑退
光GENJI結成直前、GENJIのメンバーだった田代秀高が赤坂晃と交替。光GENJIには、田代以外にも候補生だった山崎正人など、間一髪で加人に至らなかった幻のメンバーが数名いる。
【2000年】中居正広の交際相手が中絶告白
「噂の眞相」(噂の真相)にて、中居正広の交際相手が"半ば無理矢理に中絶させられた"と告白。更に、同誌のサイト「WEB噂の眞相」では、中居と女性との電話のやり取りが、音声ファイルで公開された。
【2007年】木村拓哉の「いけのおと」事件
『FNS24時間テレビ』(フジテレビ系)中のクイズ番組『ネプリーグ』に出演したキムタクが、「ふるいけや かわずとびこむ ○○○○○」の○の頭文字を答えるクイズに、「い」と回答(「いけのおと」だと思った為)。この不正解後、名誉挽回の為に見えざる力が働いたのか、不自然なほどに模範解答を連発。結局キムタクのチームが優勝してしまった為、疑惑が残りネットなどで話題に。
【2008年】大野智の「大麻で3P」疑惑
嵐?大野智の「大麻で3P」疑惑が「週刊現代」(講談社)で報じられた。この一件以後、講談社とジャニーズ事務所の一切の関係が消滅した。
最後に、本書は主人公?ジャニー喜多川氏に感情移人することで、小説作品として読み進めることが出来ることも付け加えておきたい。郷ひろみのバーニング移籍に体調を崩すほど落胆するジャニー氏、低迷期での「たのきんトリオ」ブレイクに胸を撫でおろすジャニー氏、オキニの赤西仁の渡米に困惑するジャニー氏......。
更に溢れる少年愛を「ホモセクハラ」として当人に証言される法廷シーンは、涙なくしては読めない山場とも言えよう。これはジャニー氏引退後、是非映画化を期待したいスペクタクル巨編だ。
http://www.cyzowoman.com/2010/11/post_2601.html
『完全保存版 ジャニーズの歴史―光も影も45年』(鹿砦社
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