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7/6(金) 16:00配信
関ジャニ∞の安田章大(33才)が昨年2月に脳腫瘍の一種である「髄膜腫」の提出手術を受けていたことが、ファンクラブ向けサイトでのビデオメッセージで明らかになった。腫瘍は良性で手術は成功し、予後は良好で日常生活に支障はないという。そして、今年4月9日に立ちくらみを起こして背中を強く打ち、背中と腰を骨折して全治3か月のけがを負ったことも明かした。4月15日に開かれた、渋谷すばる(36才)の月兑退会見を欠席したのは、そのけがが原因だった。
後遺症も心配されているが、安田は関ジャニ∞にとってなくてはならない存在だ──。
◆ギターケースを背負いがむしゃらに活動した
安田は1984年、兵庫県生まれ。
「小学生の時はソフトボールチームに人っていて公園に集まったら、ヤスくんが“野球やろうぜ”とみんなに声をかけて、よく遊んでいました」(地元住人)
ジャニーズ人りしたのは1997年。当時ジャニーズJr.で活躍していた嵐の相葉雅紀(35才)のファンだった姉が、事務所に履歴書を送ったことがきっかけ。最初は乗り気ではなかったが、「どうせ受からんから、行くだけ行ってみたら?」という母の言葉に反発し、オーディションに合格。
同期には、後に関ジャニ∞の同僚メンバーになる錦戸亮(33才)、丸山隆平(34才)、大倉忠義(33才)らがいる。
「安田くんは圧倒的に人気があった渋谷くん、横山裕くん(37才)、村上信五くん(36才)のバックダンサーを務め、同期メンバーで組んだユニット『BIGWEST』に参加。SMAPやV6のビデオを見て踊りの練習をしたそうです」(当時を知る芸能関係者)
その後、丸山、大倉、元関ジャニ∞の内博貴(31才)とともにユニット『V.WEST』を結成し、リーダーとして活動した。
「当時は関西ローカルの冠番組を持っていて、安田くんは“おれがリーダーやから頑張らなあかん”と張り切り、がむしゃらに活動していました。いつもギターケースを背負って歩いていましたよ」(前出?芸能関係者)
グループ結成前はメンバーにとって苦難の時代だった。2002年に大阪松竹座で関西ジャニーズJr.だけの舞台『ANOTHER』が開催されたが、初公演はガラガラ。この時の心境を安田は本誌インタビューにこう語ったことがある。
「“今日は何人です”ってお客さんの数を聞かされるのがつらかった」
その頃はほかのメンバーにも仕事がなく、村上は遊園地でアルバイトをし、横山は建築現場で働いた。錦戸も友人の洋服店で接客を手伝った。
「安田くんは仕事がない渋谷くんのために配送系のバイトを見つけ、面接の日程まで決めてあげていました。年下だけど、面倒見がよくて、気配りができる。ただ、彼も将来に不安を持ち、“どうしたらいいんだろう”と悩んでいましたね」(前出?芸能関係者)
風向きが変わり始めたのは2002年12月。関ジャニ8(2004年から∞)を結成し、安田は主にリードギターを担当。一人ひとりが必死に努力を重ねるとお客さんが1人、また1人と増え、大阪松竹座の客席を埋めていった。
2004年に『浪花いろは節』で念願のCDデビューを果たすと演歌としては17年ぶりのオリコン1位を獲得した。以降も躍進を続け、NHK『紅白歌合戦』には2012年から6年連続で出場し、「エイター」と呼ばれるファンクラブ会員は約56万人に到達した。瞬く間に同じ事務所の「嵐」に次ぐ国民的グループに成長した。
◆安田は「関ジャニ∞の良心」
多くの人が指摘するのは安田の「メンバー愛」の深さだ。
「安田くんは舞台がつらかった時、楽屋に各メンバーが仕事に取り組んでいる写真を貼っていました。“みんな頑張っていると思ったら、自分も頑張れる”と口にするほどのメンバー思い。誰かの様子が少しでもおかしかったら、“最近元気がないみたいだけど何かあった?”と気遣うメールをするそうです」(レコード会社関係者)
2005年に内の未成年飲酒が発覚して芸能活動無期限休止となった時も、安田は「内がいつでも戻ってこられるように自分たちが大きくなろう」と必死に活動を続けていた。
そんな安田と、とくに仲がいいのが錦戸。2人は唯一の同い年でオーディションも同じ日。Jr.時代に一緒に『ヤンマー』のCMに出演したことから、ファンの間では『ヤンマーコンビ』と呼ばれている。
「錦戸くんがNEWSと掛け持ちで活動した時は賛否両論ありましたが、安田くんはNEWSのコンサートに駆けつけて客席から応援しました。そんな友情に錦戸くんはものすごく感動したそうです。錦戸くんは周囲に、“メンバーの誰も気づかない、おれのちょっとした表情の変化に章大だけは気づいてくれて、おれはいつも泣きそうになる”と語っていたこともありました」(出版関係者)
気遣いができ、とことん優しい性格から、ついたあだ名は「関ジャニ∞の良心」。
「現場では常に笑顔で、仕事終わりには“スタッフさんが楽になるから”と楽屋のゴミ拾いをするナイスガイです。相手に壁を作らないで接するので、舞台やドラマの共演者などにも必ず好かれます。あまりに心が優しすぎることから、年上の丸山くんや村上くんから、“優しさは時に人をダメにするよ”とダメ出しされたこともある。安田くんらしいエピソードです(笑い)」(テレビ局関係者)
安田は、作曲やツアーグッズの作成などアーティスティックな一面を見せるが、その素顔はコテコテの関西人である。
「安田くんは奇抜なファッションセンスでも知られ、過去には“夏だから”という理由でスカートをはいて現場に現れ、村上くんにどつかれたことも(笑い)。また、取材で質問するとしっかり考えて答えてくれるんですが、途中で噛んだり、とんちんかんなことを言う天然なところがあり、メンバーからつっこまれています」(スポーツ紙記者)
地元愛が強いことも有名だ。
「地元で仲のよかった友達の妹が結婚する時は、“少しでも顔を出してあげたい”と忙しいスケジュールの合間をぬって結婚式にサプライズ出席して場を盛り上げました」(地元の知人)
◆ツアーでぼくの生き様を見てほしい
手術は成功したとはいえ、後遺症が懸念されている中、なぜ、安田は病身に鞭を打ってデビュー15周年の5大ドームツアーに臨むのか。その理由は2つあるという。
1つめは、「渋谷の月兑退」である。
「事務所もメンバーも“活動をセーブしてはどうか”と提案したそうです。しかし、“すばるくんが抜けてドームツアーに不安が残るのに、自分まで抜けるわけにはいかない”という本人の強い気持ちがあり、今回のような形になったそうです。手術は成功したが、再発の可能性もなくはない。メンバーは“何より体を優先してほしい、命を大切にしてほしい”“とにかく万が一のことがないように生きて!”と祈りながら、完全バックアップを約束しています。ビデオで6人だったのも、“このメンバーでファンのために歌い続けるんだ”という、メッセージだったんでしょう」(前出?スポーツ紙記者)
もう1つの大きな理由は、安田が胸に抱く、「関ジャニ愛」に他ならない。
「長い下積み時代を経て、関ジャニはスターダムに上がりました。5大ドームツアーができるアーティストは日本には数えるほどしかいません。応援してくれたファンのためにも、安田くんは絶対にステージに立ちたい。このタイミングで病気を告白したのは、満足できないパフォーマンスをお詫びする一方、“何があってもツアーに出るからぼくの生き様を見届けてほしい”という思いがあったそうです」(前出?レコード会社関係者)
500日に及ぶ闘病生活で決断した安田の思いは、いつもと変わらない、グループとファンに向けられた愛だった。
※女性セブン2018年7月19?26日号