- 17101 - = =2016/7/28 0:30:00
- 17103 - = =2016/7/28 6:50:00
- 17113 - = =2016/7/28 10:54:00
- 17135 - = =2016/7/29 13:35:00
- 17147 - = =2016/7/29 22:11:00
- 17166 - = =2016/8/3 14:21:00
『FNS27時間テレビフェスティバル!』(フジテレビ)で、明石家さんまが中居正広に「SMAP解散騒動」をツッコんだことが話題になったが、SMAPに関してまたキナ臭い情報が飛び込んできた。それがSMAPデビュー25周年コンサートを香取慎吾が拒否していたという話だ。
7月28日発売の「女性セブン」(小学館)8月11日号「SMAPやっぱり25周年に全員が『NO!』聞こえてきた『香取の乱』の絶望的な話」によると、11月から予定されていたといわれるSMAPの全国ツアーと新アルバムのレコーディングが一転、中止になったというのだ。そのきっかけを作ったのは香取慎吾の存在だったという。
「香取慎吾さん(39才)です。彼が“おれは絶対にやらない”と言って聞かなかったそうです。08年以降、SMAPのライブの演出は香取さんが手がけてきたので、彼なしでは成立してないのです」(音楽関係者のコメント「女性セブン」より)
記事によればその背景には今年始めの独立騒動で事務所を去った飯島三智マネージャーに最も寵愛を受けた香取が、飯島氏を裏切った木村拓哉への払拭されない不信感、わだかまりがあるという。
「今回の解散騒動は創設期からグループを支えてきた女性マネージャーの独立画策が発端ですが、彼女に最も寵愛されていたのが香取さんでした。彼からすれば、事務所への筋を通して残留を表明した木村拓哉さん(43才)へのわだかまりが消えない。今後SMAPの活動は木村さんの意志が優先される可能性が高く、香取さんはこれが耐えられないのです。あの人が主導権を持つ仕事は受けたくないと言っているようです」(前同コメント)
そのため25周年コンサート開催は絶望的で、これが「香取の乱」というわけだ。
確かに独立騒動後、香取の憔悴した様子がたびたび伝えられてきた。1月18日に行われた『SMAP×SMAP』(フジテレビ)の謝罪会見でも香取は今にも泣きそうな表情で声を詰まらせていたことは印象的だった。さらに2月15日放映の「スマスマ」ビストロSMAPで木村とペアを組んだ香取だが、2人は明らかに険悪な雰囲気で、2人は一度も会話しないどころか、香取は木村と目を合わせようとしなかった。もちろんペアが勝利した際行われたハイタッチもなし。
かつては木村宅に遊びに行くほどの関係だった香取だが、しかしその関係は騒動後一転していることは確かだろう。それほどまでに解散騒動にショックを受けた香取。ほかのメンバーは木村のいない番組では以前と変わらない表情を見せているが、現在でも香取は明らかに元気がない。そして飛び出したのが“自殺”という衝撃発言だった
3月20日、香取主演の『家族ノカタチ』(TBS)の打ち上げが六本木で行われたが、その席で香取がこんな挨拶をしている。
「SMAPとしていろいろあった時期に、キャストやスタッフの方たちに気を遣っていただいて感謝しています。正直、明日どうなるかもわかりません。もしかしたら自殺しているかもしれないですね」
この発言は「週刊女性」(主婦と生活社)4月12日号や「女性セブン」(小学館)4月14日号などで報じられ大きな話題となったが、それほどまでに香取の様子は不安定だった。その後もまた香取が主演を務めた大河ドラマ『新撰組!』の共演者たちが5月に集まった会でも「ジャニーズを辞めようかな」と香取が発言したことが「週刊女性」で報じられ、7月20日の『おじゃMAP!』(フジテレビ)でも香取は突然「おれはまあ、来月結婚します」と爆弾発言をして周囲を驚かせたが、これも香取の不安定な精神状態ゆえの発言だといわれている。
確かに香取は飯島氏の「秘蔵っ子中の秘蔵っ子」だった。SMAPでデビューしたときまだ小学生だった香取を、食事や勉強など母親のように面倒を見てきた飯島氏。内向的でひきこもりがちな香取にとって、唯一本心から心を許せる存在が飯島氏だった。そんな存在を失った喪失感、そして裏切り者である木村への怒り想像するに余りある。
だが、香取のせいでコンサートが中止になったというのは本当なのか。たしかに、この25周年コンサートをめぐっては5月3日、事務所の絶対的存在であるジャニー喜多川社長が「盛大にやるべきです」「必ずやらなきゃいけない」と後押しをし、事務所もその準備に動いていると報じられていた。
しかし、一方で、SMAPはそれ以前にとてもコンサートをやれるような状態にはなく、コンサート計画も具体的には動いていないとの見方が有力だ。
香取だけでなく中居、草なぎも木村との間でまったくコミュニケーションがない状態が続いている。グループとしてやっている仕事は『SMAP×SMAP』だけで、その収録でもまったく話をしない、目も合わせない状態。そのためビストロスマップと歌以外で5人そろっての企画は一切できていないし、ビストロでも観覧の客を人れることができないでいる。
また、先日、さんまに指摘されたように、7月16日放映『音楽の日』(TBS)や18日放映の『2016 FNSうたの夏まつり~海の日スペシャル~』(フジテレビ)など、夏の音楽特番もSMAPは出演を辞退している。『音楽の日』にいたっては、中居が司会だったにもかかわらず、だ。
「こんな状態で、コンサートなんてやれるはずがありません。それは関係者なら誰でも分かっていることです」(テレビ局関係者)
では、なぜ、「セブン」はわざわざこんな記事をやったのか。実はこれは、ジャニーズの意向を踏まえた記事なのではないか、という見方がある。
「『女性セブン』はジャニーズ事務所とはべったりですし、ジャニーズの許可なしにこんな記事をやるとは思えない。本来は、ジャニー社長がぶちあげたコンサートをやめるわけにはいかない。でも、SMAPの現状を考えると、コンサートなんてやれるはずがない。その板挟みになった『セブン』にリークして、ジャニーズの幹部が木村と最も反目している香取をコンサート中止のスケープゴードにしようとしたんじゃないか、というのが有力です。実際、香取は精神的に弱ったままですし、コンサート演出はしたくないと言っていたようですからそれを利用したのでしょう」(ジャニーズ事務所に詳しい芸能関係者)
中居は先日の『FNS27時間テレビ』で、さんまから「なんで曲をださないのか」「コンサートをやらないのか」と執拗なつっこみを受けたのもかかわらず、最後まで「やります」とは言わなかった。
「香取の反乱」云々の前にやはり、答えは出ているということではないのか。
- 17167 - = =2016/8/3 14:30:00
先日、『FNS27時間テレビフェスティバル!』(フジテレビ)で明石家さんまが中居正広にSMAP騒動のことをツッコみ、大きな話題になった。
「なんで曲、出さへんねん」「俺は木村派と思ってるかもしれへんけど、SMAP派やから」「飯島さんはどーしてんねん、それだけ教えてくれ」
こうした厳しいツッコミに中居はタジタジになりながらも、しかし、明確な言葉ははっきり口にせず、SMAPの今後について前向きな発言も一切しなかった。
ならば、その中居といまも決裂状態が続いていると言われる木村拓哉はどうなのか。実は7月20日発売の「SWITCH」(スイッチ?パブリッシング)8月号が木村拓哉特集を組み、ロングインタビューを行っている。
そもそも、この特集には、「木村拓哉 アウトローへの道」という、木村のイメージからするとかなり違和感のあるタイトルがつけられているのだが、そのなかで、木村がいくつか興味い深い発言をしているのだ。
「どちらかというと、アンチジャニーズだった」
まず、インタビューの最初の方に登場するのが、こんなセリフだ。キムタクがアンチジャニーズ? 今回の解散騒動で育ての親である飯島三智マネージャーを裏切り、唯一ジャニーズ側についたくせに何を言っているのか、と思わずツッコミたくなるが、これは木村が10代のころを振り返っての発言だ。
木村が10代のころのジャニーズといえば、歌って踊れるキラキラしたアイドルが当たり前で、ジュニア時代は木村も先輩である光GENJIのバックで踊っていた。だが、木村はそのジャニーズ的なアイドル像に、かなり違和感をもっていたらしい。
「でも、片や自分は学校に通いながら、それこそ当時スーパーアイドルと呼ばれていた人たちの後ろでテレビに映りこんでいたわけで。そんな環境の矛盾に反発したかったのか、気づけばガンズ&ローゼズとか、スキッド?ロウとか、耳にするもの袖を通すもの全てがロックになっていた」
そんなエピソードを公開した上で、木村は10 代の自分を「アンチアイドルだったし、アンチジャニーズだった」と総括しているのだ。
しかし、だとしたら、そのジャニーズに違和感をもち、悩んでいた自分を救ってくれたのが誰だったか、キムタクは覚えていないのだろうか。
SMAPが結成された当初は、木村がジャニーズに違和感を抱いていただけでなく、ジャニーズ側もSMAPのことを完全に見放していた。結成はさせたもののほったらかしで、その扱いはひどいものだった。そこに現れたのが、今回のSMAP解散騒動で追放された飯島マネージャーだった。もともとはただの事務職だった彼女が、彼らの状況を見かね、マネージャーになると申し出てくれたおかげで、SMAPは救われ、大きく羽ばたいていったのだ。
まず、飯島氏が最初に目をつけたのは、まだアイドルが本格的に進出していなかったバラエティ番組だった。飯島氏が何度も交渉を重ねた結果、『夢がMORIMORI』(フジテレビ)のレギュラーをつかみ、これをきっかけにSMAPは世に出て行くことができたのだ。
さらに、飯島氏はSMAPの俳優としての道も切り開いた。それまでのジャニーズ事務所は自社タレントがドラマに出演する場合、主演以外、イケメン待遇以外は許さないという方針を徹底して貫いていた。それを、飯島マネージャーは覆し、1993年に放送された『あすなろ白書』では木村を3番手扱いの役で出演させた。さらに、草なぎ剛を売り込み、イケメンではないお人好し役として『いいひと。』に主演させたり、SMAPメンバーがアイドルの余技ではない、本格的な俳優としての評価を得られるようにした。
他にも、飯島氏は、音楽やPVに積極的に新進気鋭のアーティストや若手注目クリエイターなどを起用し、アイドル誌ではなく、ファッション誌やカルチャー誌での露出も増やしていった。
こうして飯島氏が奔走し、それまでのジャニーズアイドルにはありえなかったさまざまな新機軸を打ち出していったことで、「アイドルとしてアウトロー」だったキムタク、そしてSMAPは時代にふさわしい国民的アイドルになっていったのだ。
自分がアンチジャニーズだったと言うなら、その自分を救い、大きく育ててくれた恩人をなぜ裏切り、ジャニーズ側についたのか聞いてみたいところだが、キムタクはこのインタビューで、さらに矛盾に満ちた言葉を発している。
それは、現場のスタッフや仕事の仕方について、話が及んだときのことだ。木村はこんな言葉を口にしていた。
「僕は“仕事”はするけど“ビジネスライク”が嫌いなんです。『この人だから』という信頼が、自分にとっては何よりも大きい」
「お客さんでもスタッフでも、自分を見てくれる人に何らかの思いを巡らせる人間でありたい、かな」
しつこいようだが、SMAP解散騒動でキムタクがとった行動はこの言葉とはまったく逆だった。誰よりも木村のことを見てきた、もっとも信頼関係のある飯島マネージャーを切り捨て、まさに“ビジネス”としてジャニーズ事務所という権力にすりよったのだ。
それでいて、なぜこういう発言を平気でできるのか、理解に苦しむところだが、こうした矛盾やずるさについては、木村自身も自覚しているところがあるのかもしれない。このインタビューでは、ぽろりとこんな発言もしている。
「つまりいまの自分は、いわば矛盾のカタマリなんです」
ただ、木村が何か内省的な姿勢を示したのは、せいぜいこの一言くらいだった。インタビューを最後までくまなく読んだが、解散騒動の説明はもちろんなし。飯島氏や他のメンバーへの謝罪どころか、そもそもSMAPのスの字も出てこなかった。キムタクにとっての「『この人だから』という信頼」はいまや、メリー喜多川副社長やそのメリー氏との間をとりもってくれた工藤静香のみに向けられ、SMAPなんてもはやどうでもいい存在になっているのだろう。
キムタクのこの態度を見ていれば、SMAP愛が強い中居や香取慎吾がSMAP復活に前向きにならないのもよくわかる。SMAP内部の亀裂は想像以上に大きく、修復の見込みはない、と断言してもいいだろう。