- 1006 - = =2019/1/28 19:41:26
- 1085 - = =2019/1/30 11:42:50
- 1086 - = =2019/1/30 11:44:14
- 1088 - = =2019/1/30 13:16:46
メンバー5人の関係性は理想の友達のようであり、理想の仕事仲間のようであり、そして理想の家族のようでもある。「嵐」という存在は、5人がいつでも帰って来れる“家”のようなものなのだろう。彼らは同じ“家”に住む家族として、至極真っ当な結論を出したのだ。
アイドルグループである嵐の場合少々勝手は異なるだろうが、メンバー同士の活動の方向性の違いによって活動休止、そして復活といったことは、ロックバンドなら珍しくないことだろう。1月28日夜放送の『news zero』(日本テレビ系)出演時、復活について「あります」と言い切った櫻井の力強い言葉を信じたい。
休養を取って心身ともに充電することと、新しい形での活動を選ぶことは、対極のようでいて実は通ずるものだ。5人それぞれが選んだ道で見聞を深めた彼らが、また結集した暁には、今までよりももっと、最強の5人組になっているに違いない。
ファンの間でも人気が高い、メンバー5人が作詞を手掛けた楽曲「ファイトソング」に、こんな歌詞がある。
〈どんないくつもの言葉よりもたった一つの言葉がいい/やっと一歩踏み出せたよね/「頑張れ!!」ほらね似合っているよ〉
幾度となくファンを励まし続けた彼らの楽曲たちに込められた力強いメッセージが、今度は嵐5人の背中を優しく押していることを祈るばかりだ。
五十嵐文章
- 1092 - = =2019/2/4 23:04:14
2/4(月) 22:00配信
嵐の「活動休止」は衝撃的な発表だった。一方で、ファンに希望を与える言葉も。
「会見翌日の日本テレビ系ニュース番組『news zero』に出演した櫻井さんが、有働由美子さんから嵐の今後を聞かれると、“復活はあります”と力強く明言しました」(テレビ局関係者)
それもそのはず。櫻井の言葉は、どうやら単なるリップサービスではないらしいのだ。実は、水面下では嵐の復活計画の青写真がすでに描かれているという。
「大野クンの胸中は、キャンディーズが“普通の女の子に戻りたい”と言ったのと同じ。ただ、日本にいても一般人にはなれないので、海外留学という選択肢も考えられます。それでも、しばらくすれば、戻ってくるでしょう。
“特定の期間を休んだら必ず復帰する”という取り決めになっていると思いますよ。嵐がなくなってしまうことがどれだけマイナスになるのか、本人もわかっているでしょうからね」(芸能プロダクション関係者)
大野の望みは、しばらくアイドルを離れることなのだ。
「今回の決定は、本当に彼が休みたいから。大野クンはいい意味でアーティスト。何からも束縛されずのんびりとしたいんです。ほかのメンバーが彼のことを理解して、それならリセットしろよと受け止めたのでしょう。ただし、そこには“必ず戻ってくる”という約束も織り込みずみなんです」(同 芸能プロ関係者)
彼らはいったん、嵐を離れることで、これまでとは違った活動もできるようになる。
「派生ユニットを結成してCDを出すということは大いにあるでしょう。KAT-TUNの亀梨和也さんや山下智久さん、NEWSのメンバーとは関係性も深いですから。そこに、“タッキーがプロデュース”なんて付加価値もつければ、話題性もバッチリですからね」(レコード会社関係者)
デビューから20年を迎えればマンネリ化は避けられない。そこで、活動休止は絶好のカンフル剤になるのだ。
「活動休止からの復活となれば長いジャニーズ史で見ても伝説になりますよ。復活後のコンサートにはファンが殺到するでしょうし、その後の活動も順調に進むでしょう。
休止期間は2年~3年ほどだと思いますが、その期間に稼げるはずだった売り上げは'20年までに先取りするつもりでしょうね」(前出 芸能プロ関係者)
休止までは、これまで以上に注目が集まる。
「'20年の嵐ラストイヤーには、ジャニー社長念願の東京五輪のセレモニー、新国立競技場のこけら落とし公演などがすでに候補として挙がっています。'19年の年末までドームツアーがありますが、'20年にも追加公演はあると思いますよ」(コンサートスタッフ)
どんな仕事をするにしても、常に自分たちを応援してくれるファンへの“On?e Lo?v?e”な思いがある。
「嵐も事務所も“ファンファースト”を強く意識しています。活動休止までの約2年間でファンに恩返しすることを最優先に考えるでしょうね」(同 コンサートスタッフ)
最後まで全力で走り続けた後は充電期間に人る。しかし数年後にはまた5人そろって多くの人を“感謝カンゲキ”させてくれることだろう!週刊女性PRIME
- 1093 - = =2019/2/5 0:20:10
2/5(火) 0:00配信
1月28日に行われた嵐の活動休止会見。17年6月に大野智(38)はメンバーに「20年を区切りに活動休止したい」と宣言。決断を受け、櫻井翔(37)、相葉雅紀(36)、二宮和也(35)、松本潤(35)は何度も話し合いを続けてきたという。実は18年1月ごろから、都内のホテルで月1回ほど“極秘会合”を開く大野の姿が見られるようになっていた。
「スタッフが集められるだけでなく、ときにはメンバーが参加することもあったそうです。密会はアイドルであり続けるしかない5人が唯一、本音を話し合う場となっていました。大野さんは何度も自分の思いを伝えたといいます。そして最後にはみんなが『一度休むことが今の最善だ』という考えにたどり着いたそうです」(知人)
だが発表を前に、大野はメンバー4人に対して“ある約束”を交わしていたという。
「嵐はこれで終わりじゃない。絶対にまた戻ってくる」
嵐は99年にグループ結成。ハワイのクルーズ客船上から鮮烈なデビューを飾った。だがそこからすぐスターダムへとのし上がったわけではなく、何年も“不遇の時代”があった。だからこそ、メンバー同士の絆は固かった。
「ライブ後の打ち上げでも、『どうすればもっと良くなるか』を真剣に話し合っていました。『そんな甘い考えだと10年後はダメになっているよ!』と言っては、互いに叱咤し合っていました。ここまでストイックなグループは、そういないと思いました」(音楽関係者)
その努力は、実を結んだ。06年ごろからブレークし始めると、人気はアジアにも。二宮は映画『硫黄島からの手紙』に出演し、櫻井は日本テレビ系のニュース番組『news zero』でキャスターとして抜擢。松本もドラマ『花より男子』(TBS系)がシリーズ化されるなど個々の活動も増えていった。09年の10周年ライブを行うころには、不動の地位を築いていた嵐。しかし大野のなかでは「これでいいのか」という思いが膨れ上がっていった。
17年公開の映画『忍びの国』を最後に、個人の活動をセーブしていた大野。16年10月には映画の打ち上げが行われていたが、本誌は1人でもの思いにふける姿を目撃している。
「大野さんは『別のことがやりたいと思うことがある』と漏らしていました。14年にはハワイで15周年ライブを行いましたが、完全燃焼したのでしょう。直後のテレビ出演では、『06年ぐらいからやめようと思った……』とも明かすようになっていました。リーダーであり続ける重圧は、周囲が想像する以上のものだったようです」(芸能関係者)
そんな大野の気持ちを分かってあげられたのは、ほかならぬメンバーの4人だった。
「大野さんからの申し出に、最初はみんな驚いたそうです。しかし最終的に納得したのは、全員が“国民的グループであり続ける重圧”を感じていたからです」(前出 芸能関係者)
実は、他のメンバーも「嵐を休みたい」と漏らすことがあったという。
「松本さんは『俳優に専念したいけどコンサートがあるから』と周囲に明かし、二宮さんも『作品を選ぶ際に制限されてしまう』と語っていたといいます。櫻井さんも『キャスター業を極めたいけど、今だと週1回が精いっぱい』と打ち明けていました。みんな、嵐が嫌だったわけでは決してありません。でもグループとして活動をするため、個人としての思いをある意味で犠牲にする部分はあったということ。大野さんの決断は、あくまできっかけでしかなかったのです」(前出 芸能関係者)
だからこそ、5人は「嵐はこれで終わりじゃない」と誓った。それぞれが自分を見つめ直し、もう一度戻ってこよう。そして、より力強い嵐になろうと――。女性自身
- 1099 - = =2019/2/6 9:58:13
2/6(水) 6:00配信
「ダンスでも、芝居でも、自分が納得するものにしたいというこだわりが強い。ただ、彼はうまくいかないと思いつめてしまいやすいんですよ」
テレビ局関係者は、大野智の素顔についてこのように語る。先日行われた会見で嵐の活動休止を発表した際に、アイドルとして生きることに苦しさを感じていたことを明かした。
「'14年の秋ごろから1度、芸能界を離れて自由な生活をしたいと考えるようになったそうです。その思いを隠しながら仕事を続けていたのですが、'17年6月16日に、ほかの4人に“自由な生活をしたい”と相談しました。そのとき、彼はケジメとして事務所を辞める覚悟だったそうです」(スポーツ紙記者)
だが、彼がジャニーズを辞めようと思ったのはこれが初めてではない。
「大野クンは'97年から2年間、京都で行われた舞台『KYO TO KYO』に出演していましたが、東京では滝沢秀明さんを中心とした売れっ子Jr.によるテレビ朝日系のバラエティー番組『8時だJ』がスタート。
京都にいる彼の中では“どうせ自分は誰にも期待されていないんだ”という思いが強かった。周囲には“この舞台が終わったら辞めようと思っている”と話していたそうですよ」(当時を知る元ジャニーズ関係者)
こういった経緯があったためか、大野はデビュー当初から劣等感を抱えていた。
「彼は安定した歌唱力を持ち、ダンスもうまかったです。京都での舞台の仕事が多かった関係で、演技の基本も身につけており、嵐の作品やパフォーマンスのクオリティーを、誰よりも支えていました。ただ、ほかのメンバーに比べて、人気も知名度も劣っているというコンプレックスを持っていたんです」(大野の知人)
思いつめてしまう性格のためか、仕事に楽しさを見いだすことも難しかったようだ。
精神的に追い込まれていた'17年6月ごろに受けた雑誌のインタビューでは、本音が垣間見える場面も。
《楽しさはないです(笑)。でも、芝居に限らず歌もダンスも必死だから、どれも楽しいという感覚はないです》
そんなつらい状況から逃れるすべが趣味の釣りだった。
「'07年の秋から本格的に釣りを始めたそうです。オフの日には12時間くらいずっと釣りをすることもあるんだとか。釣りをしているときは、アイドルであることを忘れて“普通の人”になれたのかもしれませんね」(前出 テレビ局関係者)
ここ数年は嵐のリーダーとして走り続けることよりも、1度立ち止まることを望んでいたようだ。過去に受けた雑誌のインタビューで、年を重ねることについて聞かれると、こんな回答をしている。
《40歳どころか、早く50歳くらいになりたい。ゆっくりしたいんです。絵を描いて、釣りやって、のんびり暮らしたいなあ》
しばし芸能界から離れてリフレッシュしたら、また華麗に歌って踊ってくれることだろう。週刊女性PRIME
- 1103 - = =2019/2/7 10:15:53
2/7(木) 7:00配信
本番前、オーケストラの前でメンバーがガッチリ握手を交わす。パフォーマンス前に行う嵐のルーティンだ。そこから、最新曲『君のうた』を歌い始めると5人の目には、涙がたまっているように見えた。そして、ファンへお礼を込めたライブの定番曲『感謝カンゲキ雨嵐』では一転、ファンとのコール&レスポンスで最高の盛り上がりを見せた。
その生放送の10分前、5人は会場のファンの前に突如姿を現し、自らの口で感謝の言葉を語っていた。
「最初に“お騒がせしています。嵐です”って挨拶があって、その後にメンバーが話し始めると、大勢のファンがすすり泣きを始めました。けど、櫻井くんが“泣かないでとは言えないけど、楽しもう! おれらとみんなでチーム嵐だから!”と励ましてくれたんです。たしかに残り時間は少ないですが、笑顔で一緒の時間を過ごしたいと思いました」(会場にいたファン)
櫻井翔(37才)の言葉通り、「チーム嵐」は最高のステージを作った。ファンへの感謝──それを胸に秘めた嵐は残された2年、幾度となくファンを喜ばせることだろう。
2月1日、『ミュージックステーション3時間スペシャル』(テレビ朝日系)で活動休止発表後初めてとなる、5人そろってのステージに臨んだ嵐のメンバーたち。
「あと2年しかないなんて信じられない」
そんなファンの声が聞こえてくるが、嵐は最後までファンのために走り続けるという。
「各テレビ局、イベント会社や広告関係者も“残り2年”を注視しています。今後、嵐のスケジュールの争奪戦はさらに激しくなるはずです」(芸能関係者)
◆日テレ、フジテレビだけじゃない
特に気合の人れ方が違うのは、レギュラー番組を持っている2局だ。現在、嵐の冠番組は日本テレビの『嵐にしやがれ』とフジテレビの『VS嵐』だ。
「2020年12月に予定される“ラスト番組”を目指して“嵐シフト”に突人しました。2つのレギュラー番組は最終回に向け、趣向を凝らした番組作りを考えています」(前出 芸能関係者)
『嵐にしやがれ』の最終回は2020年12月12日、19日、26日のいずれかになる予定だ。
「ファンとの交流をテーマにした企画をいろいろと考えています。ファンの自宅を嵐が訪問するドキュメント企画もあがっているそうです」(日本テレビ関係者)
対する『VS嵐』の最終回は同12月17日、24日、31日が濃厚だという。
「最終回に向けて、過去のお宝映像に加え、ジャニーズのタレントが総出演することになりそうです。なかでも最大の目玉として、Jr.時代から仲がいい関ジャニ∞との共演を実現しようと画策しています」(フジテレビ関係者)
現在レギュラー番組はないが、TBSも本腰を人れて参戦するという。
「TBSは2013年まで放送された『ひみつの嵐ちゃん!』を特別番組で復活させるという話があります。番組の名物企画だったメンバーがショッピングエリアなどで服をコーディネートする『マネキンファイブ』がもう一度見られるかもしれません。そこでも、対戦相手として関ジャニ∞の名前が挙がっています。
また、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』も、大野智さん(38才)をゲストに、活動休止を決めた心境を語るロングインタビューをオファーするそう。『学校へ行こう!』のスペシャル版に、嵐が兄貴と慕うV6と共演させる案も出ています」(TBS関係者)
日テレは『嵐にしやがれ』だけでなく、2020年8月の『24時間テレビ』への出演も目論んでいるという。
「過去4回メインパーソナリティーをしていますし、活動休止会見で見せた絆の強さは『24時間テレビ』のコンセプトそのものです。2018年7月の西日本豪雨の際に、被災地で嵐が触れ合った子供たちとの再会など、多くの視聴者の心に響く企画も考えられます。当然、Tシャツのデザインは大野さんにお願いすることになるでしょう」(前出?日本テレビ関係者)
注目の2020年12月31日はあの番組が控えている。NHK関係者が指摘する。
「嵐は2010年から5年連続で白組の司会を務め、2016年からは相葉雅紀さん(36才)、二宮和也さん(35才)、櫻井さんと連続で白組の司会を務めました。今年は松本潤さん(35才)にお願いし、来年は大野さん含む5人での司会にして、有終の美を飾ってもらいたい。NHKは、日本各地はもちろん海外でも生視聴できるので、最後のステージにふさわしい。多くの人に歌う姿を見てもらうため、前後半で1曲ずつ歌ってもらう可能性もあります」
紅白後を虎視眈々と狙うのが、年末年始恒例のジャニーズカウントダウンコンサートを放送するフジテレビだ。
「2018年内で引退を表明した滝沢秀明さん(36才)も前回のカウコンには参加してくれたし、ファンに最後の勇姿を見せるには最高の舞台で、出演者全員で嵐メドレーを歌えば必ず盛り上がる。それに合わせて2020年末に、月曜から日曜まで毎日どこかのタイミングで嵐の番組を放送する『嵐ウイーク』も検討しています」(前出 フジテレビ関係者)
テレビだけでなくラジオでも「復活」に注目だ。
「2017年3月に終了したFMヨコハマの『大野智のARASHI DISCOVERY』が別タイトルで復活するとの案があります。番組ディレクターと大野さんの仲がよく、ファンのみんなへ感謝を伝える番組になりそうです」(ラジオ局関係者)
※女性セブン2019年2月21日号
- 1104 - = =2019/2/8 10:23:21
2/8(金) 7:00配信
2020年をもって活動休止となることを発表した嵐。ファンが最も気になるのは、今後のコンサートの行方だ。現在、32公演残っている『ARASHI Anniversary Tour5×20』のチケットはプラチナ化している。
「会場に人れないファンのために、映画館やコンサートホールなどで大型スクリーンを使ってパブリックビューイングを行う案が出ています」(芸能関係者)
海の向こうからは、気になるニュースも届く。
「ハワイのローカルニュースでは、“2014年9月に嵐は15周年のハワイライブを行った。だから今年9月の20周年もハワイでコンサートをするに違いない”という報道をよく見ます。実際、今年9月1日の京セラドーム大阪公演から10月30日の東京ドーム公演まで“空白期間”があるので、ひょっとしたらひょっとするかもしれません」(ハワイ在住の日系コーディネーター)
ハワイで行われた15周年ライブでは、深夜にもかかわらずテレビ朝日が生中継したので、今回も実現したら放送もあり得るだろう。
2020年7月24日から開催される東京五輪での華々しい活躍も期待される。
「櫻井(翔)くんが日テレの五輪特番のMCとなることは決定的といわれています。活動休止を受けて他のメンバーも五輪関連のイベントに起用される可能性が高くなり、開会式と閉会式には5人全員が出席し、歌やパフォーマンスを披露することになるかもしれない」(広告代理店関係者)
五輪後は、新国立競技場の「こけら落としライブ」が噂される。
「改修前の国立競技場で、嵐は2008年から6年連続でライブを行いました。来年9月のパラリンピック終了後、アーティストとして初の新国立競技場ライブをするのは嵐が最もふさわしい。フィールド席を含めると8万人収容の大会場で初となるライブを行えば、新たな伝説が生まれるでしょう」(前出 芸能関係者)
五輪関係の新施設では、バレーボール会場の有明アリーナ(約1万5000人収容)、テニス会場の有明コロシアム(約1万人収容)でのこけら落とし公演もあり得る。
他にもスペシャルな場所でのコンサートがありそうだ。
「嵐は2009年に東京ディズニーシーとコラボしたライブを開催しており、来年までにディズニーシーでのスペシャルコンサートを行うかもしれません。ファンを喜ばせることを第一に考える嵐なので、実現すれば一大イベントになります」(前出 芸能関係者)
昨年大ヒットした映画の「嵐バージョン」が見られる──こんな声も聞こえている。
「活動休止の記念映画を製作する計画があります。イギリスのロックバンドQUEENを描いて大ヒットした映画『ボヘミアン ラプソディ』のようにライブシーンがふんだんにあり、観客が大声で歌ったり手拍子できる“応援上映”になるかもしれません」(前出 芸能関係者)
※女性セブン2019年2月21日号
- 1105 - = =2019/2/8 14:38:41
2/8(金) 11:30配信
1月27日、2020年いっぱいでの活動休止を発表した嵐。普通で自由な生活に憧れた大野智さんの意向を、メンバー全員が話し合うことでうまく着地させることとなった。「週刊朝日」では、初の主演映画「ピカ☆ンチ」が公開されていた頃に撮影された貴重な写真とともに、これまでの発言からメンバーの隠された思いを振り返っているが、ここでは大野さんの本音を読み解く。
* * *
「嵐から離れて、自由な生活がしてみたい」。切り出したのは、大野智さん(38)だった。「3年くらい前からそういう気持ちが芽生えて強くなった」。メンバーに思いを伝えたのは、2017年6月16日、大阪の夜だったという。
その2週間ほど前、大野さんは「週刊朝日」のインタビューにこう答えている。
「芝居に限らず歌もダンスも必死だから、どれも楽しいという感覚はないです。僕が楽しんでやってるのは、ノリでやる踊りとか芝居とか、歌なら鼻歌とか、なんとなくやっているもの。仕事となると、一生懸命と集中しかないです」(17年6月30日号)
歌もダンスもうまい天才肌、何事も軽々、飄々(ひょうひょう)とこなしてしまう──。そんなイメージとは異なる返答だった。国民的アイドルグループの一員としての活動には、重圧もあったのかもしれない。一方で、同じインタビューではこんなことも語っている。
「アイドルってなんだろう?って自分自身よくわからないけど(笑)。でも、俳優とは思わないかな。嵐っていうグループのなかから一人派遣されて、違う場所で頑張ってくるという感覚。だからグループに戻ると、『帰ってきたな』という感じになりますね」
「週刊朝日」ではその年、嵐のメンバー全員にインタビューをしている。
「肩書が何かと問われれば、やっぱり『嵐のメンバー』になる」(松本潤さん 17年10月13日号)
「他の仕事のときに“出かけている”という感覚はあります」(櫻井翔さん 17年11月3日号)
「嵐という母体があって、そこから出向しているみたいなもの」(二宮和也さん 17年11月10日号)
言葉は違えど、他のメンバーも「嵐こそ自分たちのホーム」と語るのが、とても印象的だった。ちょうどこの時期、大野さんとメンバー一人ひとりが個別に、また5人そろって、話し合いを重ねていたという。松本さんも会見で、「こんなに話す日もなかったなというくらい個々でも全員でも集まって話しましたね」と語った。
大野さんは1994年、中学2年生のときに母親のすすめでジャニーズ事務所に人所、16歳からの2年間、「ジャニーズファンタジーKYO TO KYO」に出演するため、親元を離れて京都で過ごす。東京に戻り、事務所をやめて、就職するか、絵を描くために美術の学校に行くか悩んでいたときに、嵐としてデビューする話が持ち上がった。
「踊ることが大好きだから極めたいっていう気持ちも、自分の中では一段落ついた頃で。そろそろ事務所をやめようかと思ってたのに、いきなり、嵐としてデビューしたから……。(中略)すでにテレビに出ていたほかの4人と違って、Jr.の頃は京都でずっと舞台に立ってたから、雑誌もテレビ収録も、全然わからなくて。取材でも、『頑張ります』なんて嘘は言えないから、ずっと黙ってた。毎日、“逃げたい”しか頭になかったもん(笑)」(「MORE」14年6月号)
嵐のリーダーに選ばれた理由は「じゃんけん」。最年長とはいえ、みんなを引っ張っていくようなタイプではない。櫻井さんがキャスターを務める「NEWS ZERO」(16年6月13日放送)に出演した際には、当時の戸惑いをこう語っている。
「最初はリーダーって、まとめるっていうイメージがあって、ラジオとか5人で当時やっていたじゃない? 『進行 大野』って書いてあって、あれはまいったね」「グデグデになったの覚えてる。正直、(当時は)みんなの考えてることが理解できなかった自分がいて、それじゃだめだよ的なのはちょっとあったんだよ」「でも十何年やってきて、みんなも大人になってきて、逆になった感じ」「周りがフォローしてくれるから成立しているんだな。(出演中のドラマの)役も嵐も、そんな感じになるんだなって僕は」
気負わない、自然体な姿は、多くのファンに支持された。ドラマや映画への出演、レギュラー番組の本数自体は、他のメンバーと比べると決して多くはないが、17年の主演映画「忍びの国」は興行収人25億円を超え、主演ドラマの平均視聴率は「怪物くん」(10年)13.9%、「鍵のかかった部屋」(12年)16%、「世界一難しい恋」(16年)12.9%など、いずれもヒットを記録している。
だが大野さんには“普通であることを大切にしたい”という思いがあった。会見で「この世界を一度離れてみて、今まで見たことのない景色だったりを見てみたいなと。普通の生活っていうのは、今までこの世界に人って経験していないなっていう思いもあり」と語ったが、デビューから約3年後のインタビューでも、こう語っている。
「デビューした途端、僕よりずっと年上のスタッフの方が自分のことを、突然“さん”付けで呼んだり、『大野さん、座ってください』『お茶人れましょうか』って気を使ってくれるのが、すごく慣れなくって……。(中略)自分でできることは自分でやりたいですね。周りの大人から気を使われることに慣れちゃうと、なんだか自分が崩れそうで怖いっす」(「月刊アサヒグラフperson」02年12月号)
同じインタビューで、「嵐は、あなたにとって何?」という質問に、21歳の大野さんはひと言、こう答えている。
「一生モノ」
(本誌取材班)
※週刊朝日 2019年2月15日号より抜粋