「なつかしさ」とは何か。本人が意識しているかどうかは別として、この国のポップスの歴史、つまり「歌謡曲」→「アイドルポップス」の流れに彼が作るメロディがしっかり位置づいているということだ。
いきなり1曲目の「愛の十字架~Promise 2U~」で、なんて覚えやすいメロディラインが展開されるのだろうと感心している間に、アルバムにぐいっと引き込まれていく。
そして中盤6曲目の「Take me to...」。ポップスのお手本のような曲作りに「参った」と言いたくなる。言いかえれば私好みのサウンドに気持ちがどんどん弾んでいく。この曲の編曲は TOKIO「宙船(そらふね)」の船山基紀だからますます納得。
もちろん、メロディも多彩で、曲順を裏切る曲調が出てくると、その予想がはずれたこと自体が楽しくなる。当たり前の曲が当たり前に並べられている「月並み」とは正反対の位置にいる。ロック色、フォーク色、トランス色、ジャズ色、R&B 色……マジでカラフルだ。
またどの曲も、イントロと初めの数小節ですぐに聴くものを離さない「おいしさ」を惜しげなく出している。
壮大なバラードを見事に歌い上げる「下弦の月」、リズムが意表をつく「Addicted」、スリリングなほど清らかな「追憶の雨」……聴きどころは書ききれないくらいある。全曲シングルカット可能、なクオリティだ。表現力豊かな歌声がこれらを支える。重厚に歌っていてもどこかに優しさがひそんでいる声質だ。
それにしても堂本光一は、どうやってこんな作曲術を身に付けたのだろう。たくさん昔の曲を聞き込むタイプではないし(それとも実は聴いているのだろうか)、音楽業界に身を置く中で、いろいろなアーティストと交流する中で、自然に身体に「ポップス」がしみ付いたのだろうか。
ビートルズが解散して、ポール・マッカートニーとジョン・レノンとジョージ・ハリスンとリンゴ・スターがそれぞれソロ活動を始めた時(一部は解散前から)、4人の音楽性の違いにあぜんとしたことを鮮明に記憶している。
堂本光一と堂本剛も、音楽に関して勝負する「土俵」がだいぶ違っている。シンガーメロディメイカーの光一と、シンガーストーリーテラーの剛と。歌唱法も違っているが、こちらには「うまい」というすばらしい共通点がある。
これはどちらがいいとか悪いとかいう問題ではなく、この2人が KinKi Kids というデュオを組んでいることのすごさを表すのだ。違った個性と音楽性がぶつかり合う時、そこにはとんでもなくすばらしいコラボレーションが生まれる。
堂本光一のアルバムを聴いて確信することは、光一と剛のふたりがソロ活動を充実させることが KinKi Kids をさらに成長させる、ということだ。私はKinKi Kids の次のライブは行くしかない、そう思いつつある。
そしてもちろん、ここまでの私のブログの流れから言葉を付け加えれば、同じグループ/デュオのファン同士がソロ活動がもとでいさかいを起こしてほしくないし、事務所/レコード会社の不必要な抗争やイヤがらせなどない公正な切磋琢磨をしてほしい(後者については「テレビ」というものの問題点について改めて書く予定です)。
堂本光一「mirror」は、音楽の楽しさと心地よさを素直に実直に表現してくれた貴重なアルバムだ。